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About 鳥取ループ

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

もう一つの朝鮮半島、京都「ウトロ」は今・・・

By 鳥取ループ

三品純(取材・文)

京都府宇治市ウトロ地区。ここは戦後の在日コリアン史、そして闘争史を象徴するダークスポットだ。長年、不法占拠状態にあり、存在自体がタブー化したこの街が今、政府、自治体の支援を得て転換期を迎えようとしている。しかしそれは真の「解決」か、それとも新たな「火種」なのか? ウトロの今をレポートする。

在日闘争の聖地

近鉄京都線「伊勢田いせだ駅」を降りる。ここは陸上自衛隊大久保駐屯地の最寄駅で近くには自衛隊官舎もある。駅から徒歩約10分。やや下り坂の道を歩いていく。するとごく普通の住宅街だったのが、ウトロ地区に入ると突如、異様な立て看板が乱立する。以前は整然と立っていた看板も色あせ、破損している物も目立つ。ウトロは住民の高齢化が指摘され懸念材料になっていたが、同時に闘争も弱体化しつつあるようだ。
とは言えウトロ周辺に悶々もんもんかもし出される在日イデオロギー臭は変わらない。看板の一つ「オモニのうた」はウトロの風物詩だ。

「いやや!どんなことがあっても私はよそへは行かないよ あの世からお迎えが来るまでは」

戦後から在日コリアンたちがこの地に住み続け、地主と所有権を争った。2000年11月には最高裁で敗訴が確定。建物の整理と土地の明け渡しを命じられることになる。しかしそれでも住民たちは居座った。支援者や左翼活動家、そしてメディアらとともに「弾圧」「差別」と訴える住民の前には最高裁判決さえも無力で、強制執行すらもできなかった。もちろん彼らの結束力もあってのことだが、もう一つには「在日コリアン」という戦後最大の免罪符があったからこそ成し得たことである。

彼らが執着し続けたウトロ地区とは、正確にはウトロ51、中ノ荒60、南山21‐2、総面積213万3366㎡のことを言う。すぐ隣は陸上自衛隊大久保駐屯地だ。フェンスを隔てた先には、迷彩服姿の隊員が見回りをしたり、ジャージ姿の隊員たちがジョギングする風景も見られる。自衛隊と在日集落、まるで真逆の物が“隣人”なのだ。
実際に歩くと分かるが本当に町の一角に過ぎない。幅100m、長さ300mの長方形のこの一角に60世帯の在日韓国人・朝鮮人が住む。ゼロ年代に入り韓国政府からも支援を受けることになるが、地区内には朝鮮総連(北朝鮮系)京都府南山城みなみやましろ支部もある。普通は韓国‐朝鮮籍、民団‐朝鮮総連で対立することもあるがこの地は南北が混在している。いわばもう一つの朝鮮半島がここにあるわけだ。ここで彼らは建設業、解体業などに従事し、生計を立ててきた。在日集落という特性とともに土建屋街という側面もある。

ウトロって何語? 語源は?

よく「ウトロは何語ですか?」と聞かれることがある。日本語と答えるがまた説明がややこしい。日本語らしく感じないのも無理はないだろう。「ウトロ」という日本語の地名では聞きなれない妙な語感。ひょっとしたら北海道知床のウトロを連想する人もいるかもしれない。知床ウトロ地区は観光スポットで有名だが、宇治市ウトロはダークスポット。かなり異なるものだ。

ウトロとは“一応”固有の地名なのだ。正確には「うとぐち」という。初めてウトロを訪れたのは2007年だった。その時、右も左も分からない著者は駅前の交番で道を訪ねた。警官は「ああ“うとぐち”ですね」と言った。少なくとも本来はこのうとぐちというのが正式な名称である。

その昔、江戸・明治時代はこの地域を「伊勢田村宇土口」といった。もとはごく普通の山林だったそうだ。「宇」とは「家」を意味するそうだから「家がある土地」そんな意味だったのかもしれない。そして口は「宇土」への入口を示す「口」(ぐち)として付けられた。その「口」がいつしか、カタカナの「ロ」と読まれるようになり「ウトロ」となったというのが通説だ。

解放に歓喜、そして失業

ウトロをめぐる住民の闘い。もちろん彼らが戦中、戦後の歴史に翻弄ほんろうされたという事実も我々は理解すべきなのだろう。しかし事の経緯はともかく住民たちの「不法占拠」であることは疑いのない事実である。在日コリアンが「戦後」を盾に物を言えば世の中何でも通用するという訳でもない。しかしウトロがメディアに登場する場合、いつも「悲劇の民」である。『朝日新聞』『毎日新聞』『京都新聞』では定期的にウトロ問題が特集される。おおかた同一の記者の署名記事で執筆され、住民の代弁者のような存在だ。ウトロ番記者といったところだろう。

彼らが戦後、「悲劇の民」に祭り上げられた理由。それは戦前、1940年頃、逓信省ていしんしょうの方針でこの地に京都飛行場と航空機の製造工場の建設計画が始まったことにある。この事業は国策会社「日本国際航空工業株式会社」が請け負った。同社は後にウトロの地権者として係争することになる日産車体株式社会の前身だ。補足すると戦後、日本国際航空工業が分割されウトロの所有権は日国にっこく工業が保有。やがて1962年に日国工業が日産車体にっさんしゃたいに合併され地権も引き継がれた。

そして飛行場の建設事業には約1300人の朝鮮人が集められた。彼らは「飯場はんば」と呼ばれる集合住宅に住み建設事業に従事した。周辺住民はこんな話をする。

「この辺はすり鉢状の低地ですぐに浸水するんですわ。最近はゲリラ豪雨もあって、もっとひどくなったけど」

すり鉢状になったのには理由がある。飛行場建設のためウトロに集まった労働者たちは土を掘った。それがやがてくぼみになっていったらしい。この労働者の中にはやがてウトロ住民になった人もいただろう。実に皮肉なものだ。そして敗戦もまた彼らに皮肉な結果をもたらした。

「太平洋戦争の敗戦の日は朝鮮人にとって解放の日だ。みんなドブ酒を飲んで解放を祝ったよ」

以前、土地の老人にこんな話を聞いたことがある。ドブ酒とはドブロクよりも安価で家庭でも製造できた。また「嬉しくて日本人を殴りに行った」こんな人もいたようだ。ウトロに限らずこうした現象は全国各地で珍しくなかった。敗戦は同時に飛行場建設の終焉しゅうえんを意味した。つまり彼らは仕事を失ったのだ。彼らは「戦勝国」と歓喜したが同時に失業者になったのだ。

薬莢拾い、密造酒で食いつなぐ

そこで残った住民たちはスクラップ集め、ドブ酒の密造など「喰うため」なら何でもやった。ドブ酒とはいわゆるどぶろくなのだが、それよりもさらに下等な酒である。中には城陽じょうよう市の米軍射撃演習場で薬莢やっきょう拾いをした者もいた。そして飯場跡に民族学校を作って朝鮮語を教えた。こうして徐々に朝鮮人の「ウトロ街」が形成されていく。そして戦後は朝鮮人たちの闘争の時代。特に朝鮮人学校の設立を求め、GHQ、警察と大規模な争議に発展した1948年の「阪神教育事件」は熾烈せんれつだった。その余波よははウトロにも訪れ、同年にウトロ民族学校が閉鎖。また1952年3月には数百人規模の警官がウトロに大規模な強制捜査を実施した。

住民たちは暴力行為で逮捕され、密造酒や反米ビラが押収された。この時点でウトロ問題は、単なる住民闘争ではなく、一種のイデオロギー闘争に発展していたことがよく分かる。GHQはここが共産主義の拠点になることを恐れていたのだ。

一方、住民側も徒党を組み行政に押しかけた。ウトロの所有権が一変したのは1987年のこと。町内会長を自認する平山桝夫ますお氏こと許昌九(ホ・チャング)氏に日産車体が約3億円でウトロ地区を売却。そして平山氏はこれを西日本殖産に4億5千万円で転売した。同氏は一時、西日本殖産の代表取締役だった経緯もあり、土地の転売で利ざやを稼いだと住民からも批判が相次いだ。

「権利が西日本殖産に移ったのを知ったのは88年のことだった」(ウトロ住民)というから住民にとってみれば寝耳に水。同じ朝鮮名を持つ人物が土地転しに関わったのだから、ショックも大きかったことだろう。この点はメディアも活動家もずるい点だ。先に述べた通り、特に『毎日新聞』では定期的にウトロ特集を組むが、在日が在日を欺いたという事実を全く報じていない。さらにはウトロの支援者のビラも平山桝夫氏が昌九チャングであることに言及していないのもフェアではない。いわゆる通名報道だ。

国連人権委員会を味方にする

そして1989年2月、西日本殖産はウトロ住民に立ち退きを求める訴訟を起こした。同年4月には約700人がウトロで集会を実施し、日産車体京都工場前で抗議活動を行った。1991年には首相官邸前で陳情を行ったものの1998年の京都地裁判決、高裁控訴審いずれも住民が敗訴。2000年11月の最高裁でウトロ住民の敗訴が決定した。しかしウトロ住民たちは国際世論に訴えかけた。2005年7月、国連人権委員会特別報告者のドゥドゥ・ディエン(セネガル出身)がウトロの調査に訪れたこと。同氏はウトロを「差別の集積地」との見解を示した。

そして2006年9月、国連人権理事会はディエン報告書に基づき日本政府にこう勧告した。

「ウトロに住むコリアン住民の状況に関して、日本政府はウトロ住民と対話し、強制立ち退きから保護し、住宅を失わないよう措置を取るべきだ」

この勧告に法的拘束力はない。しかしウトロ住民を始め内外に与えた影響は大きかった。政府関係者から疑問の声も挙がっている。

「ディエン氏は、日本の人権団体のレクチャーを受け、運動家の主張を代弁したにすぎない。またこの時の人権理事会はフィリピンなど東南アジア地域のスラム問題が主題。それにウトロが便乗した格好だ」

つまり運動家の声の大きさが国連すらも動かしたことになる。人権団体はこうした海外の報告者を来日させ、フィールドワークさせる。ただひたすら「差別だ」と吹き込む。特定団体の主張を真に受ける国連人権理事会にどれだけの価値があるのだろう。

韓国からの支援を取り付ける

西日本殖産とウトロという、民‐民の係争に不介入の立場だった行政だが、2007年11月20日に京都府、宇治市がウトロ整備を訴える要望書を冬柴鐵三国交相(当時)に提出した。

「平成18年に冬柴国交相は、ウトロと同じく在日コリアンの不法占拠状態にあった兵庫県伊丹市中村地区の整備事業に着手しました。冬柴さんは、ウトロ問題の解決にも関心を持っていました。やはり在日コリアンの人権問題にも熱心な公明党の所属という背景も大きいでしょう」(兵庫県の自治体関係者)

ようやく解決の入口に入ったのは、2007年頃だろうか。韓国政府や韓国内の市民団体「ウトロ国際対策会議」の支援を受けて11年2月、ウトロ一般財団法人がウトロ51‐28の土地3808㎡を購入したことから、ウトロ支援団体の関係者は説明する。

「ウトロ国際対策会議だけでなく、ウトロ支援NGO『KIN』の活動も大きかった。彼らNGOが毎週土曜日にウトロ募金活動、学校でウトロ問題の講演や、韓国日産自動車への抗議活動を行った」

一方、民間同士の係争だったことからウトロ問題に当たれなかった政府、自治体も対策に乗り出さざるをえなかった。国交省、京都府、宇治市による「ウトロ地区住環境改善検討協議会」が結成され、予定では今年度中にもウトロの環境改善に関する総合計画(マスタープラン)が策定される方向だ。

「それにしても大変な日々でしたよ」と京都府内の自治体職員はしみじみ語る。「ウトロの支援団体からは行政はウトロを見殺しにする気かと怒鳴られます。しかし行政は民間の問題に介入できないのですよ。また反対派からもウトロを支援するなとお叱りを頂いた。しかし不法占拠とは言え、今も半分の世帯が井戸水で、浸水も続く状況を行政としては放置できない」

確かに支援者たちも身勝手なものだ。普段は反権力を訴え、行政の介入に対しては「プライバシーの侵害」と訴える。その割にいざとなれば行政にすがるのもおかしなものだ。結局、民間の土地の係争に公金が投じられる。

京都府によると「国の交付金、約2千万円の予算で平成24年にウトロの実態基礎調査、平成25年に基本構想の策定を行いました」という。そして国交省の「社会資本整備総合交付金」を活用して公的住宅を建設する計画が検討されている。

「小規模住宅地区改良事業による改良住宅か、公営住宅法による公営住宅になるかメニューが複数あり、現在、鋭意検討している段階です」(宇治市ウトロ住環境対策室)

来るか!? 小規模住宅地区改良事業

昨年取材した当時、ただ国交省、京都府、宇治市、いずれも共通するのは「具体的なメニューは検討中」と説明を受けたが、「何らかの解決策は今年度中に発表する」ということだった。それにしてもあの住民と支援者、マスコミ、これらを納得させるだけのプランはあるのだろうか。

前出の京都府内の自治体職員はこう推定する。

「小規模住宅地区改良事業を活用するのが濃厚でしょう。住民からは戸建住宅の要望も根強いがおそらく1LDK、2LDKといった具合に世帯で別れた集合住宅になる可能性が高い」

小規模住宅地区改良事業、いわゆる「改良住宅」と呼ばれるもので、おおかた同和事業で活用されてきた制度だ。しかし実はこの住宅が思わぬトラブルを生むことがある。もともとこの制度自体、「生活環境の整備が遅れている地区において、住環. 境の整備改善又は災害の防止のために、住宅の集団的建設、建築物の敷地の整備」を目的にしたもの。しかし実態はイコール同和事業と言っても差し支えない。ところが近年、老朽化による空室問題や、また住民による大規模なまた貸し、あるいは家賃の滞納といった問題も発生している。さらに従来の住民を対象にしている制度のため、もちろん地区外からの入居はできない。旧住民が退去するなどし、空室ができた場合、条件を満たせば一般住民を入居できるが、地域によって旧住民と新規入居者の間でトラブルが発生することも少なくない。というのも旧住民は改良住宅を行政から「勝ち取った」という意識がとても強いため、彼らからすれば新住民は、「何も運動をしていないのに住居だけ得た」というマインドが働くのだ。

またウトロ地区住環境改善検討協議会がまとめた地区住民意向調査によると若年層(30代以下)を含む世帯が60世帯中22世帯、そのうち未成年者を含むのが7世帯だ。つまりどういう形態の住宅整備になろうが、戦前からの住民を対象にというよりは、その2世、3世のための住居整備という色合いも濃い。

京都府、宇治市も「戦後補償ではなくあくまで住環境整備が目的」と強調するが、戦後から継がれた闘争の結果、ようやく彼らは住居を勝ち取るのである。だが結局は事実上のコリアンタウンという性質を帯びることに違いはない。住民からすれば「勝ち取った権利」、日本人から見れば住民の「押し切り勝ち」にも見える。
どうあれ一応の結論が出ようとする今、長年の“ウトロ闘士”は何を思うか。住民でウトロ町づくり協議会代表理事、町内会長を務めた金教一氏に話を聞こうと、町内の同氏の建設会社を訪ねた。

「高齢の上、体調不良でお話できる状況ではない」

やはりここにもウトロ住民たちの高齢化問題があったのだ。となるとこれからのウトロを担うのは2世、3世ということになる。彼らを待ち受けるのは平穏な生活か、新たな火種か?

JR北海道事故の裏にJR総連・革マル派の影

By 鳥取ループ

三品純(取材・文)

90年代半ばのことだ。著者の母校の正門前で中核派による奇っ怪なビラが配布された。ビラにはこのような趣旨のことが書かれていた。自民党元国対委員長・金丸信かねまるしん(故人)が全盛の頃、革マル派の幹部と密会しこう話したという。

「金丸(カネマル)も革マル(カクマル)も一字違いだ。仲良くやろうじゃないか」

長らく金権政治、反動、権力の権化のようにまつりあげられた金丸信との癒着ゆちゃくを中核派は指弾したわけだ。この密会の真偽はともかくとして、案外まんざらでもない話だと思った。旧国鉄が分離分割民営化する際に主要な労働組合が反対の立場をとったのに対して、革マル派の影響下にあった一派は「全日本鉄道労働組合総連合会」(鉄道労連後に総連)を結成。そして政府や経営陣の方針に従った。このとき総連が自民党の一部議員とも関係を深めることになったとそうだ。

当時、国鉄の長期債務は約25兆円という莫大なもの。職員の数も飽和状態でなにしろ「窓口で行き先を聞く駅員、切符を渡す駅員、切符を切る駅員、一人でできる仕事を複数の職員でやると揶揄やゆされていた」(元国鉄職員)。

赤字解消のためには民営化、人員整理あるいは赤字路線の見直しは当然のことだった。だが当時の国鉄職員にとって解雇は晴天の霹靂へきれきなどというレベルではない。

国鉄OBは嘆息たんそく混じりにこう振り返る。

「当時、JRはリストラ対象になった職員の受け入れ先としてJR直営の立ち食いソバ店、コンビニを作った。スキー場まで作って雇用を生み出そうとしたがこれが閑古鳥かんこどり。別の意味で“滑りっぱなし”だ(笑)。私らが若い頃、面倒を見てもらった元駅長が駅構内のスタンドそば屋でソバを盛っている姿はあまりに哀れだった」

赤い大地のJR総連

激しい民営化反対闘争があったにも関わらず総連だけは国の方針に従ったのだから、一部保守派からも評価されたことは言うまでもない。革マル‐金丸密会の一件もその最中で築かれた縁だったのかもしれない。

“毒をもって毒を制す”という図式がものの見事に当てはまるこの民営化の舞台裏。実は共産党や新左翼は政府ないし体制の方針に従って逆に発言権や立場を得るというパターンがある。60~70年代の学園闘争をへて大学を郊外に移転する動きが各大学で見られた。国は郊外に大学を移転させ地域を活性化させる学園都市構想を進め、一方大学の共産党系の教授らはセクト色を大学から一掃するために郊外移転に賛同した。

だがこの手法は現状の問題解決には特効薬となるがなにせ後に禍根かこんを残す。国鉄の民営化についてもまさにその図式で、民営化後、少なくとも東日本にあるJR各社は長年にわたり総連・革マル派の影響を強く受けることになった。

中でも日教組などその他、労働組合が強いため”赤い大地”と呼ばれる北海道のJR北海道は特に総連の強い影響下におかれてきた。そして”走るトラブル”と化したJR北海道の相次ぐ不祥事の裏に総連の影が取り沙汰されているのだ。JR北海道はいわゆるJR三島会社(JR北海道、四国、九州)の中でも厳しい経営状態にあった。詳細は後述するが赤い大地・北海道でもJR総連は強い基盤を持っているのだ。

民主党も認めた革マル派と総連の関係

革マルと総連の関係はあの民主党政権ですら認めたことだ。民主党内には革マル派の組織内候補や関係が深い議員もいる。しかもそもそも労働組合の支持を基盤とする民主党にとって総連も重要な票田である。JR総連は結成時に全日本民間労働組合協議会(全民労連)に加盟し、そして全民労連は1989年の日本労働組合総連合会(連合)に合流した。連合といえば民主党の最大の支持基盤であり、連合の会長は民主党代表とも定期的に会談の場を設けてきた。だから本来なら民主党の本音としては触れたくない話題ではある。

ところが2011年9月27日、革マル派との関係を問うた質問主意書に対して野田政権はこう回答した。

「全日本鉄道労働組合総連合会(以下「JR総連」という。)及び東日本旅客鉄道労働組合内には、影響力を行使し得る立場に革マル派活動家が相当浸透していると認識している」

今さらと言えば今さらの話なのだが、改めて政権が革マルと総連の関係に言及した異例の事態だった。さて2011年といえばこんなJR北海道内でこんな事件も起きていた。

5月27日に発生した石勝線、特急「スーパーおおぞら14号」の脱線火災事故は負傷者39名を出す大惨事となった。すすで顔が黒くなった乗客の映像は事故の深刻さを物語っていた。

会計検査院によると同年に実施した約3千回の車両検査のうち約28%で基準が守られていなかったことも発覚。2013年に入ってからもJR北海道の運転手が覚せい剤使用で逮捕されるなど種々のトラブルが続き、不祥事の数々が大きく報じられることになった。この薬物使用についてもJR関係者によれば「覚せい剤使用の運転手も総連系だった」と話す。

正確に言えば覚せい剤を使用した職員が総連というよりも、職員はたいてい総連といった方がJR北海道の場合、適切かもしれない。通常、JRの労働組合の勢力版図は、東の総連、西のJR連合と言われている。東日本は総連系が占めているが北海道は特に強い勢力を誇る。JR北海道内の労組の構成を現役職員はこう解説する。

「もっとも多数派が総連で約84%を占める。次にJR北海道労働組合(JR北労組)、国労、建公労の順番だ」

北労組は全国的には大きな組織だが、北海道ではまだ10年前に結成された程度。長年、解雇闘争で国と争い続けた国労(国鉄労働組合)も北海道ではさほど強くない。一般の人にはあまり聞きなれないのが建公労だろうか。建公労とは建交労全国鉄道本部の略称で、元は動力車労働組合(JR総連の前身)から分裂した一派だ。このため現在の総連とは対立した関係にある。といっても組合員は「実質、4~5人程度」(同前職員)というから少数派。つまり北海道は実質、総連の一強状態にある。

北労組が発足した当時、総連は「平和共存否定」を通知してきたという。これはざっくり言えば他労組と協力もしなければ、交流もしない旨を伝えた文書である。著者もJR職員から話を聞いて驚くのだが、このご時世でもまだJR内部では他組合員は無視しろ、相手にするな、場合によっては業務上の連絡事項も伝えないといった行為が横行しているというのだ。

また「北労組系の組合員はレクレーションや飲み会などの交流会も参加させないし、結婚にも出席してはいけないし呼んでもいけない」(同前職員)というほど露骨なものだ。

安全を確保する上で重要となるアルコール検査の導入もJR北海道が一番遅かった。検査についてもちろん総連の反対によるところが大きい。その理由というのも「体質的にアルコールを受け付けない者が多いから検査の必要がない」(他組合員)という不可解な理由を挙げたという。数々の不祥事や事故の裏にはこうした労組の怠慢や横暴があったのではないか。

労働組合の意義とは? 総連に救われた職員も

JR北海道の立て直しには経営陣の努力だけではなく労組4団体の協力が求められている。JR総連とJR北海道労組は 10月31日、「JR北海道脱線事故問題取組報告会」を参議院議員会館で開催した。また北労組は11月17日、信頼回復に向け、札幌市内で「JR北海道の信頼回復と再生を目指す11・17集会」を行い会社側に提案する再生プランを発表した。

各労組で再建向けた取り組みが続くが彼らの”連帯”はまだ遠い話だろう。

対して総連側は『JR総連通信』(2013 年 11 月 11 日)でこう主張する。

北労組からの「共同行動拒否」など、的外れな宣伝や誹謗がJR北海道労組への労組攻撃として意図的に行われていることも明らかになった。これらは安全への取り組みを阻害するものであり、断じて許されるものではないと意見が出された。

紙面からは対立関係の根の深さがにじみ出るようだ。社会的にも総連側に対しては厳しい視線が集まっているのは否めないところだろう。それに総連がJRの労働現場に落としてきた影も否定できないし、JR総連と革マルの実態については過去、メディア、ジャーナリストたちがたびたび報じてきた。

しかし現場の声を聞くと意外な反応を示すこともある。総連の影響力が薄い中部地方のJR職員はこう疑問を投げかける。中部地方ということは賢明なる読者ならお分かりかもしれないがJR東海のこと。ここは総連の勢力はさほどでもない。同氏はこんな話をしてくれた。

「電車が1分でも遅れたら乗客がツイッターなどにクレームを書き込む。しかも乗務員の名前まで書くからたまらない。管理職もネットの書き込みにピリピリ。かつては駅長と言えば乗務員を守ってくれたものだが、理不尽な乗客に対しても平身低頭。そして軽微なミスでも処罰対象になりえる。またJR西日本のJR福知山線脱線事故の結果、経営体質や職場環境を改革するのではなく運転手や乗務員に責任を転嫁した。だから指導や管理が厳しくなってきて、トイレに行くのにも報告が必要な異常な状態だ」

こうした職場環境に対して非総連系の同氏はこんな評価をする。

「ある時、若い職員が些細なミスをして懲罰を受けると真っ青になっていた。ところが結局、懲罰はなかった。しばらくしたらこの若い職員が総連の書記として会合に出席するようになった。なんでも総連の組合員が懲罰について管理職にかけあい、擁護してくれたそうだ。その縁で総連に加盟したという。この場合、その他労組が何もできない中、かばったのが東海内では決して強くない総連。労組としてそれなりの役割を果たしているのかなとさえ思った」

この評価は難しいところだ。ある意味、組織拡大のために職員を守り組合員を増やしたという見方もできるが、その一方で職員を懲罰から守ったのも事実である。各種の労働組合の運動が形骸化する中、労使交渉ができるのも総連ということなのだろうか。

しかし他組合員に対して容赦ない態度を取るのも総連であり、いざ労働とは無関係の闘争ともなればいかつい活動家たちが大挙する。彼らが真に守るべきものは人、安全、組織、イデオロギーのどれなのか。総連のみならずJRの労組全体が原点に立ち戻り、北海道問題に対処すべきだろう。とは言え想像以上に根深い労労対立という図式。JR北海道内部が正常化するのはまだ遠い先と言えそうだ。(三)